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 ▼ずっと気になること・・・  石橋千佳子 13/4/29(月) 23:29
   ┗Re:ずっと気になること・・・  すのこ 13/4/30(火) 0:26

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 ■題名 : ずっと気になること・・・
 ■名前 : 石橋千佳子
 ■日付 : 13/4/29(月) 23:29
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   アルプス子ども会にあずける親御さんは「男の子」「女の子」であることに気にかけて育てていらっしゃいますか?
私は、一人目の子どもを授かった時、男の子だったので、決めたルールは、
1.長男として育てないこと。
2.男の子のくせにという、判断だけは絶対やめよう。
ということでさいた。
それは、長男だから・・・男だから・・・と育てられた人間関係にどうしても拒絶してしまう自分の生い立ちがあるため…です。

子どもたちが育った東大阪市の保育所は素晴らしくて、ジェンダーに悩むことはありませんでした。一男はピンクも赤も大好きでした。
2番目も男でして、こちらは、0歳児から、恋人のように?大切な男友達が保育所・小学校・中学校と出来るので、
「お母さんはどの国の人と結婚しても良いよ。その人が男性でも良い。」と言ってきました。この話は、極端に思うかもしれないけれど。
男のくせに・女の子のくせに・お兄ちゃんだから・お姉ちゃんだから・
この言葉がないだけでも子どもは気持ちよく大きくなれるのではないかなあとなんとなくずっと思っている女親です。

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 ───────────────────────────────────────  ■題名 : Re:ずっと気になること・・・  ■名前 : すのこ  ■日付 : 13/4/30(火) 0:26  -------------------------------------------------------------------------
   石橋さんは、自分がいやだったことを
きちんと子供に強いない親になれて
うまくいえないですが、比較的お子さんが小さい頃から
親として成熟していた、いい親なんだなあと、
読みながら思いました。
(いやみじゃなくて、本当にです(笑)。
文字だけだと、ニュアンスが伝わらないので)

私は、子供が10歳を過ぎた頃から
「あー、親も一緒に成長するとは
こういうことか」と、痛感するようなことが
何度もあり、

そういう中で、ようやく、
子供の個性を認めるということは、
言うは易く、行なうは難いもので、
それでも、子供を羽ばたかせる為には
難しくても、やる甲斐のあるものなのだなーと
思えるようになりました。

子供が1歳なら親も1歳、と、よく言いますが、
私は、どう考えても、
子供が5歳でも、まだ親として
1〜2歳程度の親だったなと思います。

ですから、
こういったスレや、身近な友人で
「あーこういう風に子供に接してあげれば
子供も、親自身もいいのだろうな」と、感じる
話にふれるにつけ、
今も未熟ですか、さらに超未熟だった頃の
自分を思って情けなくなったりします。

12年もかけて、
たった一つ、自分が成長したと思えるのは、
そういう非を、受け入れ、認めることが
出来るようになってきたことでしょうか。


そうした、自分で認められた非のひとつが
「男の子なんだから」
というものだったと思います。

私自身は、そう頻繁に「男の子なんだから」と、
言っているつもりはなかったですが
でも、ゲーム大好きっ子に育っていることに
「男の子なんだから、外で遊んでよ」と、
いつも思ってきました。

昨今、仕事をしていないお母さんが少ないので、
ダメだといっても、結局誰かのうちで
たまってしまって、そういう不安や
ストレスもあった気がします。


でも本当に、「ふと」なんですが、
ある日、仕事の途中で
小学校の横を通り、放課後サッカーをしている子たちをみて
「あー。こういう風に、サッカーしてくれればなー」と、
思った後に、
「あれ?これって、私がただ、安心したいだけじゃない?」
って思ったことがありました。

「そうか。私は、外で走って遊んでいる子供になってくれれば
それが私の安心だから、そうなってほしかったんだ」
と、そう突然思ったんです。

それに気づくと、
親のいない家で遊んでほしくないということも、
私の安心の為ですし、
そもそも、学童にいったり、かぎっ子であること自体が
子供にとってみれば、私の勝手な事情と都合であるので、
子供にしてみれば、帰宅時に親がいて、
好きな友人と遊べるほうがいいはずです。

うちは片親なので、働かないわけにはいきませんが、
だからといって、息子にしてみれば
遊びたいともだちと、遊びたいように遊ぶーという
機会を私が奪っているのは、やはり私の勝手なのです。

いつも良かれと思っていってきたことって、
大半私の安心の為だなーと思いました。


ある本で、
個性的な子供を育てるということはどういうことですか?
という問いに、
河合隼雄さんは「目に見えないものを、信じるということです」
という回答をしていました。

まったくもって、そうだなと。

目に見えないもの
=ゲームをして過ごしている今が
未来にどう続くかわからない

目に見えるもの
=外で遊びまわる子供は、一般的に元気で、
そう間違った方向にすすまないといわれている

こんな図式でしょうか。


私は、この後者の一般論の安心に
足をおきたかったんだなと、痛感し、
自分の安心のために、子供をまるごと受け入れる
ことができていなかったことを、理解しました。
とても、情けなかったです。

ゲームが好きなら、
それを受け入れて、その中でのルールや
世界や、選択肢を増やしてあげられる親にならないとーと、
その頃から少しずつ意識できるようになりました。

確かに、外遊びに比べ、
ゲームとなると、気をつけなければならないことや
目に見えないリスクは多いので、
より、子供を把握したり、自分もゲームや
ネットのことを把握するように努めないといけませんでしたし、
なにより難しかったのは、
それを把握した上で、「口をださない」というラインも
設けなければならないことでした。

「親って。すんごい大変。。。」と、
当たり前のことなんですが、
今までサボってたーということなんだと言い聞かせ、
ようやくそこから
親としての覚悟や、試行錯誤を、
本当の意味でやり始めたんだと思います。

それまでは、言ってしまえば
面倒は見てたけど、
教育はしていなかったーというところでしょう。


これだけだめっぷりを書いておいてなんですが(笑)
私も実は、石橋さんの書いていらした
決めたルールのようなことを、
口だけでは子供に言っていたのです
まったくもって恥ずかしい限りです。

でも、理想とするそれと、
丸裸の自分との間には大きなレベルの差が有りました。
今ならそれがわかりますし、
それを認められますから、こうして書けますが。

人間無理しちゃダメですね。
結局「あるべき」というところに、以降として
反動のようにして無意識に「男の子なんだし」という方に
舵をきって、焦ってーの悪循環でした。

自分のできる程度や、自分のエゴというものを
認められてからは、ずいぶん変わった気がします。

若く子供を生んだせいもあり、
はじめから、高いとこを表面だけで
狙いすぎたんですね。


石橋さんのように、「こうあれたらいいのに」
と、思えるような子育てをされている方に触れると、
以前は、情けなかったりで、気持ちがくちゃくちゃでしたが、
今は、「そういう親っていうのは、素敵なものだなー」と
感じ、改めて勉強にもなります。

また、「いやいや、だからといって、
また、無理に手を伸ばしすぎちゃ意味がないぞ」と、
自分の足元を確認する良い機会でもあります。


今回もいい機会をいただきました。
ありがとうございました(^^)

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